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大分地方裁判所 昭和33年(わ)483号 判決

被告人 勝目忠男

昭三・八・一三生 石井興行社々員

角野大

昭六・三・一四生 無職

荒木美喜雄

昭一〇・九・一九生 無職

沢田政美こと三田康雄

昭一四・一・二三生 無職

主文

被告人勝目忠男、同角野大、同荒木美喜雄を懲役十二年に各処する。

被告人三田康雄を懲役十年に処する。

押収した刺身庖丁四本(昭和三十四年領第二十九号の押二十二乃至二十五号)は被告人四名からいづれもこれを没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人勝目忠男、同角野大は別府市の石井一郎統轄に係る所謂的屋の団体である石井組の幹部であり、被告人荒木美喜雄は同角野の、被告人三田康雄は同勝目の夫々所謂舎弟であつて、いずれも前記石井組山川一郎の輩下として、別府市浜脇東仲町新都内に仮寓し、右山川の経営する興行関係などの仕事に従事していたものであるところ、石井組一派の者は門司市に本拠を有する大長組こと大長健一一派の者と、かねてから確執を生じ昭和三十年頃石井組輩下の宮脇与一が大長組の幹部松村武旺こと洪炳烈(昭和三年六月二十四日生)を拳銃で狙撃し、ついで右大長組一派の者が前記石井組の本拠たる新都に殴り込みをかけ、同組の幹部であり、かつては大長組の輩下であつた河部修一等に負傷させる等の事件があり、爾来両派は深刻な対立関係にあつたが、偶々昭和三十三年十二月八日前記洪は内妻天満信子を伴い、服役中の弟正一に面会するため大分刑務所を訪れ、同所で石井組の相宅勇の舎弟堀井定夫と出会つたことから、思い立つて帰途同日午後二時頃、以前大長組において兄弟分であつた前記河部と面談すべく別府市に立寄り、堀井の手引きで、河部を呼び出し、同人と同市中浜筋喫茶店「プリンス」で会いついで同人と共に別府駅前の食堂で飲酒するうち、予定の列車に乗り遅れたので午後七時二十一分別府駅発上り急行高千穂で帰ることにしたが、同列車の発車時刻まで相当時間の余裕があつたので、河部は洪等と語らい、同日午後四時頃同人等を前記新都に伴い来たり、同所二階の河部の起居する六畳の間に案内し、当日河部が新都を出て行つた直後、大長組の洪が来別したと知り、緊張して待機していた被告人勝目、同角野等を呼び入れ、共に飲酒して時を過すうち、階下に居合わせた石井組輩下の一部の中に河部が洪を新都に招じ入れたことに対する不満の空気があることを察知し、折柄山川は不在であつて留守を預る幹部として敵方の洪を新都に入れた以上、このまま返したのでは幹部としての立場がないと感じ、且つは新都が手薄であることを洪に知られたからには殴り込みをかけられる虞があると思い、この際同人を殺害するにしかずと考えるに至り、同日午後六時頃、機会をみて被告人勝目、同角野を階下奥六畳の間に誘い善後策について協議するうち、かねて石井組と大長組が相反目していることを知り、洪が新都を訪れた不敵な態度に憤激していた被告人荒木、同三田は、この情勢を察知して之に加わり自ら洪殺害の衝に当ることを申し出たので、河部と同様の気持から洪を殺害するのも已を得ないと考えていた被告人勝目、同角野は河部と共に之を諒承し、被告人荒木、同三田に対し洪殺害の決行方を託し、ここに被告人勝目、同角野、同荒木、同三田は河部と共謀の上洪殺害を企図し、被告人三田に於て調達した刺身庖丁四本(昭和三十四年領第二十九号の押二十二乃至押二十五)を同被告人及び被告人荒木において二本宛携行し、同日午後六時三十分頃新都を辞居して前記高千穂号七号車に乗車した洪の後を追つて同列車に乗り込み機会を窺ううち、同日午後八時二十五分頃、同列車が国鉄宇佐駅と豊前長洲駅の間を進行中前記信子が食堂車に立つて席を離れるや、右七号車十七号座席に腰掛けていた洪に近寄り、夫々隠し持つた前記刺身庖丁をもつて相次いで同人の頸部、胸部等を突き刺し、よつて同人に対し上腔静脈切断、大動脈切断等全身十数個所に亘る刺切創を与え、よつて同人をして右刺切創に基く急性大出血により即時死亡するに至らしめ、もつて殺害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯となる前科)〈省略〉

(法令の適用)

被告人四名の前示殺人の所為は刑法第百九十九条、第六十条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人勝目、同荒木、同三田についてはその刑期範囲内で、被告人角野には前示前科があるので同法第五十六条、第五十七条に則り、同法第十四条の制限に従い法定の加重をした刑期範囲内で夫々処断すべきである。よつて情状について考えてみるに、本件犯行は急行列車内で衆人環視のうちに敢行された殺人事件であり、その手段方法は計画的且惨忍であつて被害者に特に責められるべき事由ば見当らないので、被告人等の責任は重大であるといわなくてはならない。本件犯行の経過を仔細に検討するに、本件の原因は遠く石井組対大長組の対立抗争に由来するものであつて或る意味においては不可避的なものであつたといい得られること、被害者洪が別府を訪れなかつたならば被告人等のうち同人殺害を企図するような事はなかつたであろうとも考えられ、被害者及び河部の軽卒な行動が本件犯行の直接且重要な契機であつたこと、被告人荒木、同三田は先輩である河部、被告人勝目、同角野の立場を考え敢えて本件犯行を決意するに至つたものであつて必ずしも自己一身の利害からのみ行動した訳ではないこと等が認められる。併し乍ら上記の事情は被告人等の責任をいささかたりとも軽減する事由となり得ないのであつて、被告人等が本件犯行を決意するに至つた事情のうちには、若干の不運な偶然に災いされたものと見られる節があるにせよ、結果の発生を回避することが不可能であるとか又は困難であつたと思われるような事情は毫も存在しないし、やくざ社会における所謂義理人情も民主主義社会の理念によつて批判されなければならない。よつて叙上本件犯行の動機、態様等の犯情を勘案し、被告人勝目、同角野が比較的消極的な立場にあつたこと及び被告人荒木、同三田はともに未だ思慮に浅い青年であり、特に被告人三田が本件犯行当時二十才に満たない少年であつたこと、その他諸般の情状を参酌して、被告人勝目忠男、同角野大、同荒木美喜雄をそれぞれ懲役十二年に、被告人三田康雄を懲役十年に各処する。

なお、押収した刺身庖丁四本(昭和三十四年領第二十九号の押二十二乃至二十五号)は被告人等が本件犯行に使用したものであつて犯人以外の者に属さないことが明らかであるから刑法第十九条第一項第二号第二項により被告人四名からこれを没収する。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 岡林次郎 萩原直三 茅沼英一)

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